こんにちは。
ごっちゃんです!
この記事は
50代のごっちゃんが
おじさんの視点から
気になる事を
発信していきます。
今回は
10月12日のNHKの番組
『逆転人生』
に出演された
石田順裕さんについて
調べてみました。
- 石田順裕。元プロボクサーの戦績は?
- 石田順裕。元プロボクサーのファイトマネーは?
- 石田順裕。元プロボクサーのお嫁さんは?
など 石田順裕さんについて
書いていきます。
もくじ
1.石田順裕。元プロボクサーの戦績は?
<プロフィール>
名前:石田順裕(いしだのぶひろ) 生年月日:1975年8月18日 年齢:45歳(2020年10月現在) 出身地:熊本県玉名郡長州町 身長:188cm 出身校:興國高校、近畿大学卒業 現住所:大阪府寝屋川市 現職:寝屋川石田ボクシングクラブ会長 |
<経歴>
1975年8月 | 熊本県玉名郡長州町にて生誕 |
大阪府寝屋川市に転居 | |
1981年 | 6歳の時、大阪帝拳ジムにてボクシングはじめる |
1993年 | 興國高校3年時に高校選抜ライト級で優勝 |
1997年 | 近畿大学ボクシング部主将時代はなみはや国体でライト級成年の部2位 |
1998年 | 社会人選手権ライトミドル級優勝 |
1999年 | 全日本選手権ライトミドル級3位 |
プロ転向 | |
2000年 | アマチュアエリートとして6回戦プロデビュー。判定勝利 |
2001年3月 | OPBF東洋太平洋スーパーウエルター級王座獲得(デビューから6戦目) |
2001年5月 | OPBF東洋太平洋スーパーウエルター級暫定王者竹地盛治に破れ王座陥落 |
2006年12月 | 日本スーパーウエルター級王座獲得 |
2009年8月 | 世界初挑戦。WBA世界スーパーウエルター級暫定王座決定戦にて王座獲得 |
2010年10月 | WBA世界スーパーウエルター級王座決定戦敗北。王座陥落。 |
2011年 | ミドル級へ転向 |
2013年3月 | WBA・IBO世界ミドル級王者とタイトルマッチ敗北 |
2013年12月 | ヘビー級へ転向 |
2014年4月 | 8R 判定負け |
2014年9月 | 8R 判定勝ち |
2014年12月 | 4R TKO勝ち |
2015年4月 | 10R 判定負け |
2015年8月 | 引退 |
6歳からボクシングをはじめ
40歳で引退するまで実に34年間と
長きに渡り真摯にボクシングと
向かい合ってきた人生ですね。
<戦績>
アマ時代
114線99勝(48KO・RSC)15敗
プロ時代
40戦27勝(11KO)11敗2分
<獲得タイトル>
アマチュア時代
第4回高校選抜ライト級 優勝
第50回全日本社会人選手権
ライトミドル級 優勝
プロ時代
第2回B:Tight!
スーパーウエルター級 優勝
第22代OPBF東洋太平洋
スーパーウエルター級 王座(防衛0)
第28代日本スーパーウエルター級
王座(防衛2=返上)
WBA世界スーパーウエルター級
暫定王座(防衛1)
2.石田順裕。元プロボクサーのファイトマネーは?
2000年にプロボクサーとなり
2015年に引退するまでの15年間で
40戦戦ってきた石田順裕さんですが
気になるファイトマネーは
どれくらいだったのでしょうか?
正確に公表されているわけでは
ないので憶測であったり噂の域では
ありますが
2011年の4月にアメリカで
開催された
『ジェームス・カークランド』
とのファイトマネーは
3万5千ドルだったようです。
2011年4月当時の為替が
1$≒¥83 くらいだったので
約290万円のファイトマネーであったと
思われます。
その試合は対戦相手が
WBO世界ミドル級4位で
27戦全勝という強敵であり
圧倒的不利であろう下馬評の中
初回に3度ダウンを奪い
TKO勝利という予期せぬ勝利を
収め一躍脚光を浴びました。
その結果、ファイトマネーも
上がったようです。
2012年に
ゴールデンボーイ・プロモーションズと
契約の話が出ますが
その際提示されたファイトマネーは
最低5万ドルでした。
2012年の為替は平均
1$≒¥80 だったので
400万円程であったと思います。
3.石田順裕。元プロボクサーのお嫁さんは?
石田順裕さんは
ご結婚されて家庭をお持ちですが
奥様が美人で評判となっているようです。
臨床心理士と精神保健福祉士の
資格をお持ちでカウンセラーとして
働いていたようです。
アメブロの投稿に奥様のことが
アップされていました。
2014年5月のものです。
お名前は石田麻衣さんです。
当時34歳ですから
現在は40歳ですね。
美人奥様の麻衣さんですが
ご夫婦を物語る記事を見つけました。
石田トホホ…鬼嫁厳命で現役続行!
ボクシングの元WBA世界スーパーウエルター級暫定王者・石田順裕(38)=グリーンツダ=が25日、大阪市内で会見を行い、現役続行を表明した。
4月30日に日本ヘビー級王者・藤本京太郎(27)=角海老宝石=と同級ノンタイトル8回戦を行い判定0‐3で敗戦。年齢からも引退が濃厚と見られていたが、京太郎と日本タイトルをかけての再戦を目指すことを宣言した。
同戦では「現役最後にとんでもなくおもろいことをやりたい」と本来のミドル級から4階級上げ、約20キロもの増量。「負ければ終わり」と、前代未聞の挑戦に完全燃焼したはずだった。ただ夫の進退の全権を握る麻衣夫人(34)が納得していなかった。
本石昌也会長氏(38)とともに行った会見には夫人も異例の同席。夫に代わり“引退撤回”のいきさつを説明した。
「もともと勝たないと辞められない、というのはあった。私は勝ったと思った。判定には納得していない。イスを投げてやろうと思ったくらい。ただ付け入る余地があった判定だった。リング上でぬるさが見えた。徹底的に詰めて行って終わるならまだしもスキがあった。私が続けて欲しい理由はまだ肉体が落ちていないから。辞める選択肢はもともとなかった」。
判定に怒り爆発だった夫人は夫の知らない間に関係者と相談し勝手に決断。「外堀を埋めてから」試合翌日に、「(現役を)やることになってるから」と夫にうむを言わせず、厳命した。
石田は「笑ったり、相手を挑発したり、ぬるい、と。そんなことする暇があればパンチを出せ、とお叱りを受けました。決定権は嫁さんにあるので」と、逆らう前に完全にKO状態。辞めたい気持ちは?と報道陣から問われ一瞬、迷うと隣席で夫人がささやき、「ない」と言わされた。
陣営は日本ヘビー級のランキング入りに向け5月末にJBC(日本ボクシングコミッション)を訪れ要望書を提出する予定。健康面の不安からこれまで2度、見送られてきたが、京太郎とヘビー級で互角の勝負を演じたことから陣営はランキング入りに自信を持つ。
京太郎は「2度とやりたくない」と試合後に話したが、角海老宝石側は「今度はタイトルをかけて」と再戦へ意欲を持つ。本石会長は「世界で戦った石田をああいう形で終わらせられない。藤本ともう1度、再戦を強く希望します」と訴えた。
「この体重を維持するのが大変」と石田がため息をつく前で、夫人は「京太郎、逃げるなよ」と威勢良くイスを蹴り飛ばした。
10年10月、メキシコでのWBA世界スーパーウエルター級暫定王座戦で石田が判定1‐2で敗れた際、夫人は怒りのあまりイスを投げ飛ばした伝説がある。再戦から逃げれば、京太郎は石田より恐ろしい「鬼嫁」を敵に回すことになる。
しっかりものの奥様のようですね。
この内助の功があって長く現役を続ける
事ができたんですね。
素敵なご夫婦だと思います。
まとめ
今回は元プロボクサーの
石田順裕さんについて
調べてみました。
これからは経営するジムから
オリンピック選手や
世界王者を誕生させてほしいですね。
皆さんも応援お願いしますね。
いかがでしたか?
参考になりましたでしょうか?
みなさまのお役に立てれば幸いです。
それでは、また。
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